いろいろな自転車部品を組み合わせてつくられたハンドサイクルの原型に近いものは、1983年アメリカでつくられました。1990年シャドウ・オブ・“サイクル・ワン”が大西洋を越えてヨーロッパにやってきた時、ハンドサイクルを障害者の自転車競技と共に使おうという動きが車イスを使っている人々の中で高まってきました。
しかしそれ以前にもすでにヨーロッパでもハンドサイクルの開発は行われていて、1988年にはシュゥバーベン地方のハンス・オルプがハンドサイクルを考案しています。
1989年からは、ライナー・シュトリッカーがアダプター式のハンドサイクルを最初に販売し、その直後にいくつものメーカーが続いてハンドサイクルの製作を開始しました。
スポーツタイプのハンドサイクルは、 1991年クリス・ペーターソン、トップ・エンド(アメリカ)が、 ヨーロッパではケース・バン・ブロイケルン(オランダ)、グレゴール・ゴロンベック(ドイツ)が 1993年に開発しています。
また1992年にはアロイス・プラッシュベルガー(オーストリア)が ディレイラーつきのハンドサイクルで、車イスに固定するタイプのスポーツ用ハンドサイクルを 開発しています。
さらに1995年の春、ハイノ・シュムール、ボルフガング・ペーターセンが、 ドイツ製の競技用ハンドサイクルとしてシリーズ生産を行い、スポーツ器具として広く使用されること となりました。
ハンドサイクルの最初のレースは、“ヒューマンパワー乗り物レース”の中で行われ、 1993年スイスのヨーロッパ選手権ではじめて“アームパワー”クラスが登場してからです。
またバード・ビュルツァッハのスポーツ大会でも、早くからハンドサイクルが登場しています。 そして1995年からしだいにレースの回数が多くなってきました。
オーストリアのヴィーナー・ノイシュタット、ドイツのルーシュトルフ(バイエルン選手権)、 スイスのインターリンス・マラソンで行われた競技は、当時大変盛り上がりました。
陸上競技用車いすからハンドサイクルに乗り換える影響を及ぼしたのは、都市マラソンです。 ドイツの他の都市、例えばベルリンなどでは従来の車イスレースが行われていた一方で、 シュトットガルトやカールスルーエ、フランクフルトでは早くからハンドサイクルの競技会が 開かれていました。
すでに今では自転車競技に近いものが開かれ、デュッセルドルフ近郊のカールスト・ビュッティゲン では、1995年から199年まで自転車競走の競技規則でレースが行われました。
また1995年には、 最初のドイツ・トライアスロンがエクスターで行われてます。アメリカでは 1996年に最初の“クランクチェアー・チャンピオンシップ”が開催され、 1997年にはすでに健常者の自転車選手による国民選手権大会の中で、デモンストレーションがおこなわれました。
同じころヨーロッパでも同じような動きがあり、オランダではロードレースクラブの中に ハンドサイクル部門がつくられり国民選手権も行われました。
ハンドサイクルはレースだけでなくツーリングも最初から行われています。1995年には ハンドサイクルに乗って世界一周を走破する“アクサ・ワールド・ライド”が話題となりました。 それ以降ヨーロッパでは、ハンドサイクルによるツーリングやツーリストの催しが頻繁に行われる ようになりました。
決定的な前進は1998年にもたらされました。
DBS(ドイツ障害者スポーツ連盟)の 車輪競技部門にハンドサイクルが取り入れられ、DRS(ドイツ車イス競技連盟)で独立部門が 設立されたことによって、私達はプロの合宿に参加したり、8月には障害者車椅子競技の選手と 共に最初のドイツ選手権が行われました。
また9月には、アメリカのコロラド・スプリングスの “障害者ワールド・サイクリング・チャンピオンシップ”に、ナショナルチームのメンバーとして参加することができました。
ここでは最初の国民選手権から7年が経過しており、 US・ハンドサイクリング連盟も設立されています。
コロラドではすでに、高さ300mを越える登頂が3箇所ある自転車競技が行われています。アメリカの障害者とともに、HC1~4までの現在有効な分類わけを行い、ハンドサイクルスポーツを パラリンピックに取り入れる動きが加速してます。
コロラドでは私たちが唯一のヨーロッパチームでしたが、1999年のブロイス(フランス)ヨーロッパ選手権では、 すでに国際的な最強チームによる競技が行われました。日に日に増してくるシーンの専門化は、目を見張るばかりです。
アメリカではサーキットコースを使ったハンドサイクルレースが、専門競技として広く 行われつつあります。また国民的な得点競技のシリーズが行われ、367マイルを越える アラスカ・ミッドナイト・チャレンジのような長距離レースが、賞金つきで行われています。
車イスマラソンやウィンタースポーツからハンドサイクルに数年間で移行した後、より多くの車イス使用者がハンドサイクルを使ったスポーツを始めるようになり、その数は常に増え続けています。
競技記録のレベルアップは目を見張るものがあり、当初レースの平均速度はぎりぎり30km/hだったものが 37km/h にまで速くなっています。 2000年月にはレ マン湖の周囲 174kmを越える、今までで最も長い長距離レースが行われました。そこでは自転車やワゴン車の伴走があって、 ちょっとしたツール・ド・フランスのようなものとなりました。
2002年にはヨーロッパ・ハンドサイクル・サーキット(EHC)が、ドイツ、フランス、オランダ、オーストリア、スイスを参加国とする独自の種目として設立され、現在ではチェコも参加しています。
国際試合での参加者の数も、最初30名ほどだったのが160名まで 増えています。その間にもハンドサイクル競技は国際パラリンピック協会の承認を受け、最初のオフィシャルワールドカップも開催されています。
2004年アテネにおいて、初めてハンドサイクル競技がパラリンピックでの公式種目となります。 もっとも参加できるのは障害を持つハンドサイクル選手に限られます。
一方、ヨーロッパ・ハンドサイクル・サーキット(EHC)においては健常者も 参加することができます。
ハンドサイクルを取り巻く環境は良い方向に発展しており、 ハンドサイクルを障害者、健常者ともに楽しめる競技にすることを目指しています。
文責ハイノ・シュムール
(以上ハンドサイクルの歴史は、”魅力的なハンドサイクルの世界”を運営するトーマス・バグナーさんの許可により掲載しました。)