フレームランナーの歴史
1991年、現在のフレームランナーは、デンマーク出身車いす陸上のコニー・ハンセンの父が金属を扱う職
人だったため、壊れた自転車、古い椅子と掃除機の一部のパーツを使い作られた。
陸上競技のパラアスリートのMansoor Siddiqi(マンスール・シディキィー)が試乗し、改良を重ね現在のフレームランナー・ペトラに至る。
フレームランナーが開発された間もないころ、コニーとマンスールが中学生の陸上クラブでコーチをしていたため、子供たちに新たなスポーツとして広めていた。
CP sport とCPISRA(脳性麻痺スポーツ・リクリエーション協会)がフレームランニングを正式にパラスポーツ競技として設定するため動き出したが、フレームランナーにかける予算があまりなかったことから、その道はとても厳しかった。しかし、マンスールの献身的な活動により、現在ではフレームランナーは世界15か国で普及されており、今注目を集めているパラスポーツの1つだ。
Mansoor Siddqi(マンスール・シディキィー)
陸上競技の元パラアスリート
コニー・ハンセンとフレームランナーの開発に関わっている。
Connie Hansen(コニー・ハンセン)
デンマーク出身の元車いす陸上の選手
13歳の時に木から落ちて脊髄損傷になり、車いす生活になる。
もともと、活発な性格で体を動かすのが好きだったため、車いす陸上100mに興味を示す。
1980-1995の間金メダル9個、銀メダル5個を獲得し、デンマークではテレビや雑誌で取り上げられ、一躍有名に。
その後、歩けない・走れない人のために、風をきって走れるスポーツ用具現在に至るフレームランナー・ペトラを発明した。
(バイコニーハンセンのサイトから抜粋しました。)
バイコニーハンセン公式URL ↓
History of Frame Running – By CONNIEHANSEN